長瀞駅は秩父鉄道の駅で、旅行客が最も多い駅かもしれません。乗降客数全体で見ると他線への乗り換え駅である熊谷や寄居などには遥か及びませんが、純粋にその駅を目的地とする旅行客のみをカウントすると、長瀞駅がトップに浮上します。
もちろん旅行客と一般客を正確にカウントする手段はありませんし、統計が出ているわけではありませんから、これはあくまで推測です。 いずれにせよ長瀞は埼玉県有数の観光地で、その中で最も旅行客が集中するのが、長瀞駅周辺であることは間違いありません。
名称:長瀞駅(ながとろえき)
住所:秩父郡長瀞町大字長瀞529-2
路線:秩父鉄道
長瀞駅で下車した旅行客は駅付近から続く、長瀞岩畳商店街に吸い込まれていきます。商店街から長瀞岩畳は見えません。長瀞とはどういう場所なのかということを知らない人であれば、この賑やかな商店街のすぐ向こうに広がる景色を予測するのは困難でしょう。
岩畳商店街を数分歩くと、右手に「みはらし」という食堂があります。この食堂は旅行会社のバスツアーなどで、御用達の大きな施設で、収容人数は200名以上もありますが、通りから見るとそれほどの大食堂だとは気づかないでしょう。この食堂の脇の小道を抜けると一気に視界が開けます。そこから目を下にやると、一面に絨毯のように岩が敷き詰められています。そしてその岩の絨毯の中をコバルトブルーの川が、奇妙にも静止しているのに目を奪われます。もちろん川は静止するわけはなく、よく見ると右から左へ、まるでウミガメが砂浜を歩くほどのゆっくりとした速さで流れていると気づくでしょう。
名称:長瀞岩畳(ながとろいわだたみ)
住所:埼玉県秩父郡長瀞町長瀞
最寄駅:秩父鉄道 長瀞駅(徒歩5分)
河川:荒川(一級河川) 河川の水源:甲武信ヶ岳
長瀞岩畳の地形
岩畳と、対岸に屏風のように続く岸壁の間を流れる荒川は、奥秩父から東京湾に注ぐ総延長173㎞の大河、紛れもなくその荒川です。岩畳を流れる荒川は、他のどの河岸から見た景観とも表情を異にします。まず最大の特徴は、川の流れの遅さです。川の流れの遅くなる部分は「瀞(とろ)」と呼ばれます。この「瀞」が長い区間にわたり続くことが長瀞という地名の由来となりました。「瀞」ができるには川底が平らである必要があります。川底の石や砂は、下流へと流されますから普通は、平らで居続けることはできません。ところが長瀞の場合、奇跡的ともいえる特殊な地形が、それを可能にしました。
先ほど岩畳と対岸の岸壁の間を流れる荒川という表現をしましたが、正確にはそれは間違いです。岩畳周辺の地盤は、本来地表では見ることができないような巨大な一枚岩から成り立っていると言われています。にわかには信じがたいことですが、岩畳も対岸の岸壁も、その間を流れる荒川の川底も全て一枚岩で、その一枚岩に亀裂が入り剥がれて、低くなった部分を荒川が流れているのです。そのような一枚岩ができた理由は、秩父ジオパークによると、それはプレートテクニクスであるということです。地球の表面はいくつかの大陸プレート、海底プレートに分かれており、各プレートはマントルにより非常にゆっくりと移動させられていることは良く知られています。海底プレートが移動し、大陸プレートの下に入ると、その重みでとてつもない重力がくわえられます。その重力によって圧縮され、大陸プレートの下に潜り込んだ海底プレートの一部は巨大な一枚の岩の塊になります。しかし、通常は圧縮されできた巨大で強固な一枚岩は、そのまま地底奥底に沈んでいくはずです。それが何らかの地殻変動で、偶発的に地表までに浮上して姿を現したのが、岩畳周辺の一枚岩であるとのことです。
我々の住む地表に、そのような一枚岩が現れることが奇跡的である上に、偶然にも丁度その形状が長大な「瀞」地形であり、そこに流れ込んだ川が、数々の支流を束ねた大河、荒川の本流だったのです。一枚岩をくり抜いた水深3メートルのプールのような地形は、無色透明な荒川上流の水を神秘的な深緑に輝かせます。その色彩は周囲の山々や河岸に広がる木々の色彩と溶け合い、我々の目を楽しませてくれるのです。写真2と写真3からも、いかに長瀞の流れが遅いかは見て取れるでしょう。それに対して、下の写真4は長瀞岩畳からほんの数分上流に歩いた場所の写真です。これだけ速い流れが、長瀞岩畳に入るとほとんど静止したような状態に変化します。
長瀞岩畳の強靭な一枚岩に、なぜ荒川の流れる深い溝ができたかという点に疑問が生じます。これについては、次のように説明することができます。岩が生成した後、地殻変動により長瀞岩畳の一枚岩は地表に押し出されました。その際の垂直方向の力で、空から見ると碁盤の目のように亀裂が入ります。このような亀裂は節理と呼ばれます。長い柱のような節理に水平方向の力が加わると、今度は水平の亀裂も入り、節理はキューブ状に分断されます。キューブ状に分断された節理は長い年月をかけて、水圧などにより剥がされていきます。
上の写真5の中央の岩は周りの節理が剥がされた中、一本だけ残った節理だと思われます。対岸の岸壁との間に亀裂が入り、分断されているのがわかります。
人の感覚を惑わす長瀞岩畳
長瀞地方がどういう場所だったかを思い出してみると、湾曲した荒川の流れの両岸に山々に阻まれ、他の地方から隔絶した箱庭のような土地です。長瀞地方全体を箱庭とすると、狭義の長瀞、つまり岩畳とその上を流れる荒川は箱庭の中に作られた小さな箱庭のようなものです。長瀞岩畳に足を踏み入れた瞬間、ジオラマの中の世界の住人になったような不思議な感覚を覚えます。長瀞は山に囲まれた景勝地です。日本国土の約75パーセントは山地で、それぞれの地方に美しい景勝地があります。それは湖であったり、滝であったり、渓流であったりします。私たちはそれらの自然景観を頭で認識した上で鑑賞します。どれほど美しい湖であっても、湖は湖で、どれほど迫力のある滝でも、それは滝以外の何物でもありません。
長瀞の奇抜な景観が突然目の前に現れた時、長瀞も川と河原であることには違いありませんが、私たちが知るそれらとは余りにも差がありすぎます。左岸に広がる岩畳、右岸の岸壁はミルフィーユのように切れ目が入り、川のようなものは時間が止まったかのように動きません。頭では理解していたとしても、本能的にそれらが自然物だとは受け入れられないのです。それらが実はトリックアートだと言われたほうがまだしっくり来るはずです。そしてそれらは奇抜なだけではなく、絶妙なバランスで途轍もなく美しいのです。
物理学の理論では、時の流れは一定では無いといいます。将来科学が発達して、光速に近い速さで動ける宇宙船が開発されたとします。その宇宙船に乗っている人は年を取らず、その間に地球上の全ての人が年老いているという信じがたい学説があります。これは浦島太郎の物語そのもので、いくら事実であったとしても本能的に受け入れがたいと思います。
国立科学博物館「宇宙旅行をすると年をとらないって本当ですか」
長瀞の時間が止まったような不思議な感覚は、何が原因なのでしょうか。長瀞岩畳商店街の賑やかさからのギャップなのか、流れているべき川が止まっているからなのか、それとも何千万年前に偶然に作りだされた岩畳の一枚岩が原因なのか、全く答えがでません。
長瀞で最もおすすめの旅館:長生館