スパリゾートハワイアンズは、映画「フラガール」の舞台として有名ないわき市のテーマパークです。
常磐自動車道のいわき湯本インターチェンジからすぐ近くという位置にあるため、首都圏から最も気軽にに行ける東北地方の観光地の1つです。スパリゾートハワイアンズのある一帯は、いわき湯本温泉という福島県有数の温泉地でもあります。
ハワイをテーマにした巨大プールのある温泉ホテルとして始まり、その後次々と様々な観光要素を取り入れ、単独で観光地となりうる大きな屋内型テーマパークへと変貌しました。
星空の深夜、避難指示区域内へ
私は、ある取引会社の社員を数名、福島県の避難指示区域内に送り届けるため、自らワンボックスカーを運転しました。零細の旅行会社はこのような仕事もあるのです。
それまで避難指示区域であった福島県富岡町は、解除に向け、2017年春開業予定の「さくらモール富岡」というショッピングセンターを計画していました。
その計画に関連するいくつかの企業の、多くの社員が既に住み込みで働いていました。そこに追加で何人かの社員が行くことになったのです。
その日私は、東京の何か所かを回り全員を拾ったあと、そのまま高速道路で福島県に向かいました。現地に近づくにつれ、通行する車も減っていきました。
常磐自動車道広野インターチェンジを降りてから楢葉町を通過します。楢葉の街は人が住んでいましたが、多くの建物は灯が消え、真っ暗でほとんど人影がありませんでした。真冬の深夜未明のため、無理からぬことです。
そのまま国道を北上し、富岡町の避難指示区域に入ると、風景が一変しました。楢葉町も富岡町も、どちらも同じ真っ暗な風景に違いないのですが、人が住んでいる地域の深夜の暗さと、人が住んでいない地域の深夜の暗さは全く異なるのです。
富岡町も楢葉町とそれほど規模のかわらない住宅街なのですが、国道を照らす街灯以外、街の光が全くないのです。そこには満天の星空が、真っ暗な住宅街を照らすという異様な光景がありました。
その企業の社員を送り届けたあと、私は朝まで開業前のショッピングセンターの駐車場で車中泊をしました。
快晴の朝、来た道を戻りました。車中泊した場所の付近にコンビニが一件だけ営業していました。そのコンビニは朝から多くの現場の作業員で溢れ活況でした。しかしそこを離れると、街にはやはり人影はなく、街全体が映画のセットのようでした。
高速に乗り、そのまま帰宅するのはもったいないと思い、いわき市の旅行視察をすることに決めました。まだ行ったことの無い、スパリゾートハワイアンズを見ておきたかったのです。
翌日の早朝、一人でスパリゾートハワイアンズへ
常磐自動車道のいわき湯本インターチェンジを降りると、数分でスパリゾートハワイアンズの看板があり、そこで右折しいわき湯本温泉街に入ります。
いわき湯本温泉にはスパリゾートハワイアンズ以外にもいくつかの旅館があります。
目にするのは、すべて小規模な宿泊施設です。しかし、間もなくアンバランスな大きな建物がいくつか目の前に現れます。それら全てがスパリゾートハワイアンズのホテルや施設なのです。
スパリゾートハワイアンズの広大な駐車場に車をとめ、エントランスに入ると突然世界が一変します。ここ両日見ることができなかった人々の楽しそうな姿や笑い声に包まれました。まだ早朝なので、日帰り客はいないはずです。前日からここに泊っている宿泊客が、早朝から熱心に活動しているのです。エントランス付近一帯は大規模な土産物コーナーになっているのですが、そこは人だかりでした。
その中からスタッフらしき人を探しだし挨拶すると、アポなしにもかかわらず、ぜひ自由に見学してくださいと、快く言われました。
スパリゾートハワイアンズは迷宮
実際に中に入ってみると、スパリゾートハワイアンズの造りは思っていた以上に複雑です。スタッフは忙しそうだったので、案内してもらうことは遠慮したのですが、一人で案内図も見ず、巡回したため、行ったり来たりとかなり効率の悪い動き方をしてしまったようです。
案内図を見ると一目瞭然なのですが、中心に屋内の大プール「ウォーターパーク」があり、南側に屋外プールや温泉、南東側にメインのホテル「ホテルハワイアンズ」、西側にはホテル「ウィルポート」、北東側にホテル「モノリスタワー」があります。南には屋内の大浴場や露天風呂、北側にもミュージアムや休憩所があります。
その後更に施設は増え、現時点ではスパリゾートハワイアンズは4つのホテルと5つのテーマパークに分かれています。それら全て通路で繋がれており、一体化しています。
その迷宮の中を私は地図ももたず彷徨いましたが、とにかく活気のある空間というのが第一印象でした。プール内では子供たちが元気に泳いだり、かけまわったりしていましたが、老若男女問わず、誰もが生き生きとしている感じを受けました。
スパリゾートハワイアンズの見どころ
一番の見どころは、昼と夜に行われるフラガールのショーです。私は時間的に見ることはできなかったのですが、ユーチューブなどで動画がアップされています。それを見ればわかると思いますが、普通のホテルのステージで行うショーといったレベルを超えています。
ステージ自体が、プールの中に作られた大がかりなセットとして作られています。さらにプロジェクションマッピングを使用し、ファイヤーダンスなども間に挟みます。ショーの大部分は、数十名いるフラガール(正式にはハワイアンズダンシングチームと呼ぶそうです。)が、生バンドの演奏にあわせ、フラダンス、ポリネシアンダンス、歌などを披露します。ショーのメインでは、ソロダンサーが踊りますが、ソロで踊ることができるのは選抜された数名のみとのことです。
驚くべきことは、スパリゾートハワイアンズのオーナー会社である常磐興産は、スパリゾートハワイアンズの敷地内に、常磐音楽舞踊学院という専門学校を作り、自前でフラガールを養成しているのです。宝塚歌劇団と宝塚音楽学校との関係のようなものです。一流のショーを何十年も継続できるのは、このようなことも理由の一つなのです。
映画「フラガール」とスパリゾートハワイアンズ
2006年公開の大ヒット映画「フラガール」によって、スパリゾートハワイアンズも脚光を浴びました。この映画のストーリーはまさにスパリゾートハワイアンズが常磐興産という炭鉱会社が、温泉リゾートを立ち上げるまでのサクセスストーリーを描いたものなのです。
映画のクライマックスで、蒼井優扮するソロダンサーが躍るダンスと衣装は、現在も夜のショー「ポリネシアン・グランドステージ」の幕引きを飾る演目に引き継がれています。
そして、この映画で描かれたストーリーは、2011年の東日本大震災からの、復興ストーリーとリンクします。いわき市は幸い放射線被害からは逃れ、福島県内でも安全な地域として逆に県内からの避難先、移住先となっていましたが、地震による施設の崩壊といった被害の方は大きかったのです。
東日本大震災とスパリゾートハワイアンズ
施設の改修作業などにより休業に追い込まれた数か月の間、「フラガール全国きずなキャラバン」という名称で、フラガールたちは1台の大型バスにのり、全国各地を巡りショーを披露しました。
映画「フラガール」の印象的なワンシーンで、創業当初、ハワイアンズに客がこないため、営業のためバスで地方各地の小さなステージでフラダンスを披露するという部分がありました。「フラガール全国きずなキャラバン」はここで見事に映画に重なるのです。
「フラガール全国きずなキャラバン」は各地満員の大成功をし、ステージ復旧後はスパリゾートハワイアンズのホテルも予約困難になるほど集客しました。
これら一連の出来事は、全て繋った一つの物語のようになっています。一朝一夕でできたテーマパークでは、この物語の重みには太刀打ちできないでしょう。この物語は、スパリゾートハワイアンズ内にある博物館「フラミュージアム」に詳しく展示されています。
特に昭和の戦後復興の高度成長時代を知る人にとっては心を揺さぶられるのではないでしょうか。当時は戦争でそれまで日本が積み上げてきたものが崩れ去り、全てを一から作りなおし発展してきました。炭鉱が閉鎖して、まさにゼロから作り上げたハワイアンズ、また再び大震災によって休業に追い込まれたものの、フラガールの活躍で復活を遂げたスパリゾートハワイアンズの成功劇は暗闇の中の一筋の光に見えたのではないでしょうか。
昭和の面影を残すスパリゾートハワイアンズ
昭和の終わりころ、全国各地にテーマパークが乱立した時代がありました。
その時代から現在まで残っているテーマパークもありますが、すたれて消えていったテーマパークも少なくありません。ただ、当時の人々にとって、特に子供たちにとっては、それらのテーマパークは輝く夢のような場所だったのです。何より当時の人々は希望に満ち溢れ、現代と比べると豊かであったとは言えないものの、総じて幸せそうでした。その時代の日本は現在よりおおらか、悪くいうと大雑把な部分がありました。
ここでは具体例を挙げることはしませんが、例えばヨーロッパのある国をテーマにしたテーマパークだとしても、別のヨーロッパの国のものを混ぜたり、和風なものを混ぜたりといったものが多くみられました。
今でいうとコンセプトの統一感が無いと言われるのは間違いありません。しかし、これは必ずしも悪いことでは無いと思います。観光客にとって、一番の目的はその時間を楽しく過ごすことです。ヨーロッパ風であれ、和風であれ、アジア風であれ、楽しければ、それだけで価値があるはずです。
スパリゾートハワイアンズは、ハワイのテーマパークと見ることもできますが、コンセプトの統一感があるとはお世辞にもいえません。どちらかというと昭和のテーマパークを彷彿させます。
しかし一流のダンスショー、一流のストーリーがそれらのコンセプトの不一致を凌駕する説得力を与えているのです。