鉄道ファンは全国に非常に多数おり、各鉄道会社も鉄道ファン向けのマーケティングを積極的に行っています。一方旅行者、旅行愛好家にとっても鉄道は興味の対象ですが、鉄道ファンと旅行愛好家では微妙に興味のベクトルが異なっています。
一般の旅行者にとっては、車両の種別やダイヤ編成など細かなことにはあまり興味がなく、乗り心地、車窓からの風景、鉄道の歴史やインテリア、駅舎やホームの外観や雰囲気などのほうが気になるところでしょう。
単に「鉄道博物館」といった場合、2007年埼玉県さいたま市大宮区にできた鉄道博物館を指しますが、実は鉄道に関する博物館、展示施設の類は全国に数十か所あります。これら多くの鉄道関連施設は、一般旅行者向けよりも、鉄道ファンの目を意識しているのはいたしかたがないことでしょう。鉄道関連のグッズ・書籍などを購入するのはほとんどマニアックな鉄道ファンですし、SNSなどで鉄道会社へ届く声も鉄道ファンからのものが多いからです。
埼玉大宮の「鉄道博物館」はそうした鉄道マニアの殿堂とはせず、一般旅行者も楽しめるバランスのとれた構成になっている点がうれしいところです。もちろん、これだけの規模の博物館ですから、鉄道マニアをうならせる展示物が十分にそろっていることは間違いありませんし、やはりメインターゲットは鉄道マニアでしょう。しかし、非鉄道ファンの一般旅行者がふらりと訪れ、長時間楽しめる場所という点が、他の鉄道関連の施設にはないところです。
そもそも旅行者にとって鉄道とは何かと考えた場合、もちろん旅行時の移動手段の一つですが、それ以上に旅行の一場面といえます。車窓からの光景、車両、車内空間、音、香り、空気など全てが旅行のワンシーンを形作っています。小説に例えると、第一章と最終章、あるいはプロローグとエピローグにあたるのが鉄道です。古い鉄道車両を見て、幼少期の旅の記憶を思い出したり、鉄道創成期の歴史を学んだり、運転のシミュレーター、駅員の仕事体験、新幹線などの最新技術の解説、子供むけの体験施設など展示内容は多岐にわたり、また価値のある重要展示物もかなりの数があります。鉄道博物館は「鉄道」という旅行と密接した内容を取り扱う博物館というだけではなく、体験型アクティビティの要素も十分に含まれ、さらに展示スペースや休憩スペースなど総じて広く、居心地が良い空間がたくさん用意されています。鉄道博物館はマニア向け施設や単なる博物館といった枠を超え、非常に優良な旅行スポットといえるでしょう。
名称:鉄道博物館(てつどうはくぶつかん)
住所:埼玉県さいたま市大宮区大成町三丁目47番地
最寄駅:ニューシャトル「鉄道博物館(大成)駅」より徒歩1分
営業時間:10:00-17:00(最終入館16:30)
休館日:火曜日・年末年始
入館料:大人1330円・小人(小・中・高校生)510円
駐車場:1000円
鉄道博物館南館3階「歴史ステーション」
明治時代初期に輸入された蒸気機関車と鉄道は、またたくまに旅行の主流といっても良い地位を占めました。近代以降の旅行の歴史において、鉄道は最も大きな比重を持つものです。
大宮鉄道博物館の南館3階には歴史ステーションという場所があります。ここは鉄道博物館の中で、最も博物館らしい場所で、大きな車両が所狭しとならぶ「車両ステーション」やハイテクの鉄道シミュレーターがいくつもある「シミュレーターホール」などに比べ地味ですが、内容的には鉄道博物館の中核ともいえる施設です。
「歴史ステーション」は年代ごとに7つの部屋に分かれ、それぞれの部屋には大きな年表と、時系列で展示物が並んでおり、鉄道の歴史だけではなく、日本の近代史との関係が理解できるようになっています。
「歴史ステーション」は日本の鉄道開設前、江戸時代末期から展示がスタートします。
ペリー提督が持参した鉄道模型と民衆の旅行ブーム
1854年、アメリカ艦隊を率いて2度目の来日を果たしたペリーが徳川将軍に手土産として持って来たものが、蒸気機関車の縮小模型でした。模型といえども、蒸気機関で動き、人が乗ることができたということですからかなりの大きさだったのでしょう。
当時、江戸の町人の間では旅行が一種のブームでした。埼玉県の秩父は関所を通らず、江戸から近い旅行地として最も人気があり、老若男女、身分に関わらず月数万人も旅行者で溢れていたと言われています。
その最も手軽に行けた秩父巡礼旅行ですら、江戸から約半月を要する徒歩での旅でしたから、この人々がペリーの動く鉄道模型を見てどう感じたでしょうか。
旅行ブームが開国を後押ししたといったら言い過ぎでしょうが、旅行好きの民衆にとってペリーの鉄道模型は夢を見させてもらえるものだったに違いありません。
鉄道博物館の見逃せない展示物「1号機関車」
ペリーの鉄道模型から13年後の1867年大政奉還が行われます。その翌年、明治天皇が京都から江戸城へ入城し、すぐさま大宮の氷川神社へ行幸します。
これは前代未聞のことで、旅行という観点で見れば、日本史上最大のビッグニュースと言える出来事でした。そもそも日本の天皇は西洋や中国の皇帝と違い、長距離の旅行や遠征などしないもので、ほとんど京都から出ることさえ無い存在でした。日本に鉄道はまだ無く、人馬のみ、しかも600人もの大旅団で、これほどの距離を踏破したのです。この大行幸を旅行と呼ぶのは大変失礼な話ですが、事実この時期を境に、日本は旅行の大転換機を迎えるのです。結局このようなスタイルの大行幸は最初で最後となりました。なぜなら旅行の主流が徒歩から鉄道へと一気に変わっていったからです。
日本の鉄道が開業したのは、氷川神社行幸の4年後、1872年です。その記念すべき1号機関車は、大宮鉄道博物館の最も目立つところに展示されています。鉄道博物館博物館は本館と呼ばれる大きな建物の1階に入口があります。本館は中央に大きな吹き抜けの空間があり、その周りのわずかな部分に、エントランスホールやミュージアムショップ、二階には「トレインレストラン」「鉄道文化ギャラリー」「鉄道ジオラマ」という施設が取り巻いています。その巨大な本館中央の吹き抜けの空間が「車両ステーション」と呼ばれる施設です。
エントランスホールから車両ステーションに入り、一番最初に我々を迎え入れる車両は、重厚な機関車や豪華な客車などでは無く、最も小さくかわいらしい一台の機関車「1号機関車」です。1号機関車は2つの側面から重要です。
日本から見ると、新橋ー横浜間の鉄道開設のためイギリスから輸入した、日本最初の鉄道機関車であり、それがそのまま残っていること自体が称賛されるべきことです。その後輸入された、あるいは日本で作られた明治時代の列車の大部分は解体され跡形もありません。鉄道に限らず、その時代の建築物、産業機械等もほとんど消えてしまった現代において、「日本初」というものが残されているとすれば、それだけで価値があります。もし鉄道博物館の展示物が「1号機関車」のみであったとしても、鉄道ファンであればこれを見るためだけに全国各地から大宮まで足を運んだとしても不思議ではありません。しかし、1号機関車の存在が旅行スタイルを一変させたことを考えると、日本のすべての旅行者が、この大宮の鉄道博物館に訪れるべきとさえ思います。
もう一方は世界史としての視点です。大宮鉄道博物館の1号機関車はヨーロッパ側の歴史から見ても重要です。蒸気機関車は18世紀にイギリスで始まった産業革命の集大成といえるものですが、1号機関車が海を渡り日本に到着した時が、産業革命が世界地図を塗り替えた瞬間ととらえることができます。
1760年ユーラシア西端イギリスから始まった産業革命は、約100年の時を経て、1号機関車の輸出によって東の端の日本まで伝播したということになります。そして「1号機関車」こそが、その証拠品でもあるのです。
このように鉄道博物館の1号機関車は、日本初の鉄道として旅行のスタイルを変革し、産業革命という世界的潮流がアジアの東端まで到達したという2つの意味での記念碑といえます。
鉄道博物館の珠玉:走る工芸品ともいわれる「御料車(ごりょうしゃ)」
鉄道の開業は日本の政治や産業、旅行全てに変化をもたらします。京都からほとんど出ることのなかった日本の天皇や皇族が、ローマ帝国全域を生涯をかけて旅してまわった五賢帝のトラヤヌス帝やハドリアヌス帝のごとく、鉄道を使い日本各地を転々と旅する時代に一変したのです。天皇や皇族が一般人の車両に乗るわけには行きません。そこで御料車(御料車)という特殊車両が開発されました。御料車で全国を視察するというアイデアは、明治天皇みずからが考えついたのか、他の誰かの発想かは定かではありませんが、それは一つの歴史の転換点と言えます。
御料車は1876年(明治9年)に製造された1号御料車(国指定重要文化財)をはじめ、1952年(昭和27年)に作られた14号御料車まで計14台あり、そのうち1号、2号、5号、7号、10号、12号の6台が鉄道博物館本館1階の最も広い展示室に並んでいます。御料車は鉄道車両という枠を越え、その時代の最高の技術、最高のデザインを結集したものです。近代の内装デザインに興味がある人は、鉄道博物館の6台の御料車は必見です。鉄道博物館の御料車の作られた年代は、図らずも、明治初期、後期、大正と3時代に分散されており、各時代の内装デザインの特徴を比べるにはこれ以上の旅行スポットは他にないでしょう。
大宮と鉄道
鉄道博物館の見逃せない展示物をいくつか紹介したところで、一度話を戻し、なぜ鉄道博物館の場所が大宮になったかということを簡単に説明しておきましょう。
大宮は旧武蔵国(現埼玉県、東京都)で最も由緒ある神社、氷川神社を中心にできた町ですが、中世までは小さな集落に過ぎませんでした。江戸時代に入り、中山道の宿場町として整備されましたが、数多くある宿場町の一つで、川越、行田、岩槻などの埼玉県内の城下町の賑わいには遠く及びませんでした。大宮は現在において、埼玉県最大の繁華街といえるでしょう。大宮がこれだけ大きな街となったのは、鉄道によるところがもっとも大きな理由です。
大宮駅を起点とする埼玉旅行金沢駅からの北陸新幹線、新青森駅からの東北新幹線、新潟駅からの上越新幹線、新庄駅からの山形新幹線、これらはいずれも東京駅へ向かいます。各方向からの線路は埼玉県で一か所にまとまります。その全てが集結する駅が「大宮駅」です。そしてこの5路線を走る新幹線は、全て大宮駅で停車します。
大宮は在来線においても埼玉県のみならず、関東、東北地方、信越地方をつなぐ要衝です。
大宮にこれだけ鉄道が集中する原因は、日本における鉄道の黎明期である、明治時代初期までさかのぼります。明治政府は当時の最重点課題の一つであった広大な東北地方の産業育成策の手始めとして、鉄道の東北地方への延長を計画し、大宮をその分岐点と決定しました。
大宮の鉄道の歴史は、関東地方の鉄道の歴史そのものです。明治14年開業し、明治39年まで存続した「日本鉄道株式会社」の駅としてスタートした大宮駅は、国営の「国鉄」に譲渡され、さらに分割民営化されることによってJR東日本の駅になりました。列車も蒸気機関車の時代から電車、新幹線へと変わっていきました。大宮駅はそれらの時代から現代まで、東日本の最も重要な駅であり続けています。
大宮に鉄道博物館ができた経緯
まず一般的に博物館の存在意義を考えてみると、旅行・観光的側面、教育的な側面といった来館者にとっての必要性の他、資料を保存・研究するという側面もかなりの比重を占めます。
鉄道は時代ごとの最新の技術を集積したものであるとともに、生活、産業、観光、文化などにも密接に関わっています。例えばSLの車両や、鉄道の技術などに絞って展示する施設は全国に点在していますが、鉄道に関わる事物全てを対象にする博物館はかつてありませんでした。その扱う範囲は非常に広い上、展示物のメインとなる鉄道車両は巨大です。1997年には日本初の蒸気機関車「一号機関車」が国指定の重要文化財にも登録され、更に2003年には「一号御料車」も国重文登録されました。その他JR東日本は鉄道創成期の蒸気機関車「善光号」「弁慶号」など歴史的価値の高い鉄道車両を所有しています。これらの貴重な車両を野ざらしで展示するわけにもいかず、だからといって倉庫に眠らせるには惜しいものです。全国に点在した鉄道関連の展示館だけでは、これらを保存、研究して未来へ継承していくという重積を担いきれなくなっていました。
これら多くの課題が山積していましたので、当然大規模博物館の設立は、かなり以前から検討されていたはずです。そしてついにJR東日本創立20周年という節目である2007年、満を持して「鉄道博物館」は姿を現したのです。