長瀞は関越自動車道の花園インターチェンジから国道140号線を車で行くと約30分の所にあります。国道140号線は寄居の町を経て、瞬く間に奥深い山地の中へと吸い込まれていきます。
まもなく左手に秩父鉄道の小さな樋口駅が現れます。もうそこは関東平野ではありません。すでに長瀞町の一部なのです。
長瀞と秩父が鉄道で繋がる
東京を起点に考えると、長瀞へアクセスする際、車であれ電車であれ入口は2方面からのみです。
一つ目は冒頭で述べた、寄居方面から行く方法、もう一つは秩父方面から行く方法です。その他、埼玉県の最西北の町、神川町と繋がる道路などもあるのですが、それは今回は省略します。
寄居方面、秩父方面双方からは車でのアクセスの他に秩父鉄道があります。
秩父鉄道は明治34年、埼玉県熊谷市から埼玉県寄居まで開通し、その10年後の明治44年に寄居から長瀞までの区間が開通しました。以降、観光客が激増し、埼玉県有数の観光地になったのです。
秩父鉄道はその後も延長を続け、秩父方面からも行けるようになりました。埼玉県を代表する観光地が一本の鉄道で繋がったのです。
宿も予約せず午後から長瀞へ
10年程前、ある旅行のための下見で長瀞を訪れました。長瀞宝登山の山頂付近に咲くという蝋梅の状況を見ておきたかったのです。
長瀞の宝登山は長瀞渓谷の真西に聳える標高497mの低山です。 宝登山の山頂部には、関東有数の蝋梅園があります。その山頂へは、麓から5分程で登れるロープウェイがあります。
それは11月のことですから、当然蝋梅の花は咲いていません。その地形と樹木の並び具合などを見ておきたったのです。
その日午前中は、都内で他の用事を済ませ、時間が余ったので急遽、宿も取らないまま北へ向かい、熊谷で乗り換え、秩父鉄道で長瀞へと移動しました。
長瀞駅を出ると私は、宿や商店が多くある、長瀞岩畳方面とは反対側に向かって歩きました。そして10分程で宝登山の麓につきました。
来た道は宝登山参道と呼ばれ、道沿いには宿や店は少からずあり、シーズンには花見、ハイキング、山麓の宝登山神社の参拝などで賑わいます。
その日は平日の昼下がり、紅葉も蝋梅もシーズン外れのため、宝登山の麓まで歩く人はまばらで、ジョギングやペットの散歩をさせている人が目立つ程度でした。
案の定ロープウェイに並ぶ客は見あたらず、ロープウェイは動いていませんでした。
ロープウェイの山麓駅には、事務員らしき女性が何やら雑務をしていましたが、私に気づくとその女性は、山頂の駅に連絡を取り、私一人のためにロープウェイを動かしてくれました。その女性はそのままロープウェイの車掌に早変わりしました。快晴の空に向かって動き出したロープウェイはあっという間に山頂駅につきました。
ロープウェイで宝登山山頂に行くと、眼下に長瀞の大展望
花も無い冬の蝋梅園は静寂に包まれていました。一通り下見を終えるとすぐに帰るつもりでした。
持っていたメモ帳を落としてしまい、ふと振り返ると思いがけない光景が広がっていました。
荒川の流れと長瀞の街並み、遠くには秩父盆地や秩父の山々が広がっていました。
実際に具体的には何が見えたのか、今の私は思い出せません。長瀞の岩畳や岸壁、駅や旅館などが見えていたような気もしますし、もしかしたら、秩父の武甲山なども見えていたのかもしれません。
はっきりと思い出せるのは、正面のスカイラインを形成する釜伏山、大霧山、堂平山などが連なる連峰の稜線です。この稜線上には小川町の笠山から一筆書きのように縦走できるハイキングコースがあり、私はさらにさかのぼること数年前に走破したことがあったため、深く記憶に焼き付いているのでしょう。この話は他の機会にできれば、と思います。
地図と実際の地形を見比べながら、私はしばらくそこに佇んでいました。私の認識では、長瀞は長生館、秩父館、荒川荘などの宿がある長瀞駅周辺、養浩亭などの宿や、自然博物館のある上長瀞駅周辺、小さなホテルセラヴィなどの宿のある野上駅周辺だけで独立しているように思ってましたが、高みから見ると、秩父から寄居まで流れる荒川の沿った一帯が全て一つの地形であることが良くわかりました。
宿泊せず長瀞をあとへ
山頂付近でしばらく時間を過ごしたあと、少し迷いながらも下りの登山道を徒歩で降りていきました。登山道といえども、道は緩やかで、比較的しっかりしていましたので、特に難しいところはありませんでした。ただ冬で日も短く、山麓についたころには薄暗くなっていました。駅付近でもたもたしているうちに電車も一本乗り過ごし、秩父鉄道で熊谷駅についたころには、既に外は真っ暗になっていました。これを旅行とすると、こんなひどい旅行もそうないでしょう。
長瀞・秩父の宿・観光地をつなげる無数のライン
旅行会社の仕事の一端とはいえ、今回紹介した長瀞の半日一人旅は惨憺たるものでした。宝登山山頂の景観が旅のハイライトで、他は急ぎ足で通過するのみでした。しかし、その景観は私にあるヒントを与えてくれました。
以前の私は、長瀞は日帰り、または一泊の観光地との思い込みがありましたが、この経験以降、寄居から長瀞、秩父へと宿から宿へ渡りながら、名所旧跡、観光施設などを見て回る、二泊または長期の旅行もありなのではと思いを変えさせられました。
寄居~長瀞~秩父この大きなひとくくりのエリアには多くのホテル・旅館・宿があり、春夏秋冬それぞれに楽しめる、膨大な観光資源を抱えています。それらの組み合わせは無数です。
双眼鏡なども持っていなかったので、山頂から長瀞の細部まで見えたわけではありません。地図やgoogleの衛星写真などのほうが、きっと把握しやすいでしょう。
ただ、実際に山頂から眺めてみると、地図や写真ではわからない雰囲気や距離感、スケール感などを肌で感じることができます。
交通機関の発達によって、感覚的な距離は時代とともに縮まってきました。徒歩でしか往来出来なかった昔の人の感じていた長瀞と秩父の距離はかなりのものっだったでしょう。現代の我々は、遥かに近く感じるでしょう。
しかし山頂から見ると、近いはずの長瀞・秩父の全体像は大きく感じられ、その中で私自身は点に過ぎませんでした。この大きな地域の中に、点々と多くの宿や観光地が存在し、その宿と宿、宿と観光地をつなげる線があると考えると、その線は何本ひけるのでしょうか。季節やアクティビティといった色鉛筆があるとすると、その組み合わせは何通りでしょうか。
その数えきれないほどの組み合わせの中には、誰にも知られていないような魅力的な旅行プランが隠れているかもしれません。