当サイト「小さな旅の情報室スノーステージ」は旅行情報を扱うサイトで、埼玉旅行とくに秩父・長瀞の旅行をメインにしています。登山情報を扱うサイトではないのですが、この甲武信ヶ岳に関しては登山情報としか言えない内容になってしまいそうです。
まず、甲武信ケ岳は秩父市最高峰にして埼玉県最高峰です。日本の最高峰である富士山が、日本を紹介するガイドブックから外すことができないように、埼玉県最高峰かつ秩父市最高峰の甲武信ヶ岳を埼玉旅行・秩父旅行から外す訳にはいきません。
それだけではありません。甲武信ヶ岳は荒川の源流の川です。荒川は関東以外の方は聞きなれないかもしれませんが、川の長さ・流域面積でも日本で18番目の大きな川です。甲武信ヶ岳の伏流水を端に発する荒川は、秩父湖、三峰口、秩父の巴川鉱泉郷などを通り、秩父の中心地へ続きます。
秩父の駅前の通りを西へ、秩父ミューズパーク方面へ向かうと途中に大きなつり橋があります。この橋は秩父公園橋、またの名を秩父ハープ橋と呼ばれています。夜にはライトアップされ、秋は紅葉に包まれるこの橋は秩父の代表的な景観の一つです。そしてこの橋の下を流れる大きな川が荒川なのです。上流部までこれだけの川幅と水量を保つ川は珍しいと言われます。武甲山と周囲の山々、その中を流れる荒川こそが他の観光地では見れない、秩父の特殊な景観なのです。
秩父市内で緩やかなカーブを描き流れを変えた荒川は北へ進みます。当サイトでも何度も紹介した、長瀞のライン下りや長瀞岩畳の前を流れている川も、この荒川です。 つまり、甲武信ケ岳を源流とする荒川は、秩父旅行・長瀞旅行と三位一体であり、秩父旅行・長瀞旅行を語る上で、荒川と甲武信ヶ岳を外すことはできないのです。
理由は更にまだあります。秩父がこれだけ観光地として栄えたのは、江戸時代あるいはもっと昔から続く巡礼の旅があったからです。士農工商あらゆる身分の人が、こぞって秩父を訪れました。巡礼の旅は、江戸時代の代表的な文化といっても良いでしょう。その一つが立山講・富士講に代表されるような山岳信仰の巡礼の旅です。ただ、これらは一般的とは言えず、長旅の上、3000m級の山々を登るのですから、金銭面・時間面・体力面全てが要求されます。
江戸時代の庶民に最も支持された巡礼の旅は、関西の「西国三十三所」、関東の「坂東三十三箇所」、そして秩父の「秩父三十四箇所」です。秩父三十四箇所は、江戸から近く、寺と寺の距離が近く効率的に回れるため、これらの中でも最も人気があったといいます。秩父に至る巡礼の道は秩父往還(ちちぶおうかん)と呼ばれ、中山道の熊谷宿から現在の国道140号線に近いルートで秩父まで続いていたのです。秩父へ至る秩父往還は熊谷方面からだけではありません。驚くべきことに、山梨県側や奥多摩方面から、2000m級の奥秩父山脈を越え、秩父に続く道もあったのです。この秩父往還の最高地点が2082mの雁坂峠(かりさかとうげ)です。そしてこの雁坂峠は、甲武信ケ岳の一部といっても良い場所にあります。
以上のようなことから、甲武信ケ岳を埼玉旅行または秩父旅行・長瀞旅行から外すことはできないのです。
甲武信ヶ岳とは
名称:甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)
標高:2475m
山域:奥秩父山地
場所:埼玉県秩父市・山梨県山梨市・長野県佐久郡川上村の県境上
深田久弥の日本百名山に選ばれていることもあり、登山者の間では人気の山です。奥秩父の山は縦横無尽に登山道があることから、埼玉県、山梨県・長野県はもとより、日数さえかければ東京都奥多摩からも縦走して登ることもできます。
甲武信ヶ岳はピークがいくつかあり、それぞれに名前がついています。中央にある甲武信ヶ岳本峰の標高2475mを使われることが多いのですが、計測では本峰の北にある三宝山の方が実は7mほど標高が高いようです。
作家・登山家の深田久弥は1964年に随筆「日本百名山」を発表しました。日本百名山とは、この本の中で深田久弥が実際に登り選定したものです。埼玉県では甲武信ヶ岳、雲取山、両神山の3山が選ばれています。標高だけではなく、山の品格・歴史・個性を兼ね備えた山という基準で深田久弥が熟考に熟考を重ね選び抜いた山々です。当時は異論があったようですが、現在では登山者の間でもほとんど無条件に受け入れられているようです。
百名山に選ばれた山は、標高が高い山が多いため体力を要することが多いですが、登山者も多く登山道も比較的明瞭です。エリアごとの登山地図やガイドブックなど情報量も充実しており、秩父や長瀞の500m~1000m級の山を登っている人が次のステップとして登るにはちょうど良い山が多い印象です。
ただ甲武信ヶ岳については、次のステップとしてはちょっと段差が高すぎるかもしれません。甲武信ヶ岳は2400m以上あり、気象条件は日本アルプスの低めの稜線とそれほど変わりありません。標高が1000m高くなれば気温は約6度下がりますので、2400mでは平地より15度ほど気温が低く、稜線上は森林限界と呼ばれる高木が無い場所が多く、突風が吹いた場合、その影響を直に受けます。一番距離の短い、山梨県の西沢渓谷の登山口からでも日帰り登山はやっとできるほどで、他のルートを使う場合は山小屋かテントで宿泊するしかありません。
甲武信ヶ岳の山梨側ルート紹介
埼玉旅行のページで紹介するには、本来であればまず埼玉県からのルートを紹介するべきだと思いますが、私が登ったことも無く、無責任なことも書けないため、若い頃に登ったことのある山梨県側の登山道を紹介します。ただかなり昔のことで記憶もあいまいな部分もありますし、現在とは状況が変わっている部分もありますので、あくまで参考程度に読んでください。現在の私には、もう甲武信ヶ岳に登る体力も気力も残っていませんので、更新は期待しないでください。
甲武信ヶ岳西沢渓谷登山口までのアクセス
私が甲武信ヶ岳に登ったのは5月の下旬でした。埼玉県の自宅から始発の電車に乗りました。武蔵野線に乗り換え、5:50に東京都の西国分寺駅、それから中央線で6:14高尾駅、7:23山梨県の塩山駅に到着しました。
塩山駅で1時間以上待ち山梨貸切自動車の9:05のバスに乗り込み、10:05にバス終点の西沢渓谷入り口に到着しました。
西沢渓谷登山口から甲武信ヶ岳の徳ちゃん新道を登る
西沢渓谷は3時間程で周遊できる素晴らしいハイキングコースです。甲武信ヶ岳の登山口は、その西沢渓谷ハイキングコースの入ってから徒歩10分ほどのところにあります。
この登山口を出発したのは、10:20と記録されています。西沢渓谷の甲武信ヶ岳登山口は、2か所あります。西沢渓谷入口に近い方が旧道で、奥の登山口は徳ちゃん新道と呼ばれています。私は徳ちゃん新道の方を使いました。初っ端から急な斜面をジグザグに登っていきます。私はテントなど余分な荷物をたくさん持ってきたため、この登りが全行程で一番きつい場所でした。気持ちの良い樹林帯ですが、第一日目は小雨のためレインウェアを着て重い荷物の急登はかなり堪えました。
合流点から甲武信ヶ岳の前衛峰木賊山(とくさやま)山頂へ
西沢渓谷からの二つの登山道、旧道と徳ちゃん新道は甲武信ヶ岳中腹で合流します。その合流点についたのが昼の12時43分でした。このあたりからシャクナゲの花が多くみられるようになってきます。戸渡尾根と呼ばれる歩きやすい尾根道です。
この辺りから天候は更に悪化し、霧で視界が遮られるほどになりました。傾斜もきつく体力が奪われていきました。当初の計画では一日目に甲武信ヶ岳本峰を登頂する予定でしたが、一日目は木賊山を登ったあと、甲武信小屋のテント場で宿泊し、翌朝甲武信ヶ岳本峰へ登頂する計画に変更しました。
木賊山は山頂付近に高木が多く、展望が全くありません。日当たりが悪いため残雪がかなり残っていました。ここから40分程進むと甲武信ヶ岳山頂ですが、登頂は翌日に回すことにしました。木賊山から甲武信ヶ岳へ続く稜線のすぐ東側の低くなっている部分に甲武信小屋という山小屋と、テント場があります。テント場も甲武信小屋が管理しており、料金を小屋に払ったうえでテントを張ります。当時の料金体系などは覚えていませんが、それほど現在と変わっていないと思います。ここで2022年現在の料金体系を紹介しておきます。
名称:甲武信小屋(こぶしごや)
営業期間:ゴールデンウィークから11月30日まで
収容人員:山小屋150名 テント30張
料金:テント泊 1000円
素泊まり 5500円(特定日は6500円)
1泊2食 8500円(特定日は9500円)
1泊3食 9500円(特定日は10,500円)
※1泊1食については要相談
甲武信ヶ岳登山2日目 甲武信ヶ岳から雁坂峠へ
翌日は早朝から空が澄み渡る、待望の晴天となりました。テント泊の場合、朝やることはたくさんあります。寝袋を片付け、小屋まで水を汲みに行き、ガスコンロでお湯を沸かし、アルファ米などのレトルト食品で朝食をとります。ガスコンロと食器を片付けた後、すべての荷物をまとめます。濡れたテントを乾かしたあと、片付けるのでどうしても時間がかかります。この時も多分4時ころには起きているはずですが、出発したのは6:10です。
甲武信小屋から甲武信ヶ岳は20分程で、6:30に到着しました。
木賊とは違い、甲武信ケ岳本峰の展望は抜群です。富士山やアルプスの山々まで見えました。
甲武信ヶ岳山頂から一旦甲武信小屋に戻り、破風山方面に向かいます。甲武信小屋からは木賊山に戻らず、斜面を横切る道があります。さらに2141m付近に下り、そこから破風山への登りが始まります。破風山も山頂がいくつかあり、西破風山・東破風山などと呼ばれています。
甲武信ヶ岳を発ったあと西破風山には8:55、東破風山には9:23に着きました。その先もう一つ雁坂嶺というピークを上るとあとは下るのみです。この雁坂嶺を下った先に、秩父往還最大の難所といわれる雁坂峠があるのです。私はこの旅を計画したとき、実は雁坂峠をさらに超えて笠取山にも登るつもりでした。笠取山は標高こそ1953mと奥秩父の山の中では高い方ではありませんが、笠のような端正な形をしており、いつか登ってみたいと思っていました。コースタイム上は、雁坂峠から4時間ほどでしたから日の入りまでには十分間に合ったのですが、そこに至るには水晶山・古礼山・燕山といったいくつものピークを越えていかなければならず、その時の私に、それだけの元気はありませんでした。
雁坂嶺を10:15に下り10:50に雁坂峠に到着しました。初めて訪れた雁坂峠は素晴らしい場所でした。時に峠は山頂を凌駕します。冒頭で触れたバスの乗車口である塩山市の東方に、大菩薩嶺と大菩薩峠があります。大菩薩嶺も日本百名山に選ばれている2056mの山で、登山者の中では有名です。大菩薩峠も中里介山の小説の題材になった有名な峠です。大菩薩嶺は大菩薩峠を経由して、日帰りで登れる比較的登りやすい山で、私も甲武信ケ岳を登る数年前に友人と登ったことがありました。大菩薩峠は富士山や南アルプスが屏風のように見渡せる、絶好の展望台ですが、大菩薩嶺の山頂は樹林に囲まれ、まったく展望がありません。登山というと、どうしても山頂を目指すことばかり考えがちですが、峠をゴールにした登山も良いのではないかと思います。雁坂峠も、この大菩薩峠に比肩する展望と雰囲気を持つ峠です。険しさと奥深さでは、雁坂峠のほうが遥かに凌駕しているでしょう。昔の旅人は秩父往還を歩き、この険しい峠を越え、そのはるか先の秩父を目指しました。初めてここを訪れた当時の人は、雁坂峠の大展望に感激するとともに、秩父巡礼への期待に胸躍らせたに違いありません。
雁坂峠からの秩父旅行
私はこの旅で、雁坂峠から山梨側へ下りました。雁坂峠からは一気にガレ場の急斜面を下ります。それから峠沢という沢伝いに下っていくのですが、その時はほとんど水は無く、涸れ沢のようになっていた記憶があります。登山道は途中から林道にかわり、1時間ほど歩くと国道140号線につきます。国道140号線はかつての秩父往還に近いとお伝えしましたが、現代では秩父から続く国道140号線は、雁坂峠の地下の雁坂トンネルを通して山梨側に続いています。国道140号は少し歩くと、道の駅みとみがあります。私は14:00に道の駅の到着し、ここで15:05分のJR山梨市駅のバスを待ちました。今回紹介した私の旅はここまでです。
今になって考えてみると、山梨側ではなく秩父側に下山することもできました。雁坂峠を秩父側に15分ほど降りると雁坂小屋という山小屋があります。ここから秩父へ続く2本の登山道があります。1本は雁坂トンネルの埼玉側の出口付近へ、もう1本は秩父市の川又集落の方へ続いています。いずれも山梨側へおりるよりも距離が長く、時間もかかりますが、地図を見る限り傾斜が緩やかで歩きやすそうな印象を受けます。雁坂トンネルの埼玉側の出口には出会いの丘という休憩施設があり、ここにタクシーを呼ぶくらいしか交通手段はありませんが、川又集落は秩父鉄道三峰口駅行きのバスがわずかにあるようです。
かつての秩父往還の巡礼の旅を準えるなら、本来はここから秩父まで時間をかけて歩くべきかもしれませんが、なかなかそれは難しいでしょう。ちなみに、川又集落から秩父駅まで歩いた場合どのくらいかかるだろうかと思い、グーグルマップで調べてみたところ、徒歩で6時間17分と表示されました。歩けない距離ではありません。
名称:雁坂小屋
営業期間:ゴールデンウィーク頃から11月末頃まで
収容人員:山小屋24名 テント30張
料金:テント1000円
:素泊まり5000円
秩父旅行からの雁坂峠登山と甲武信ヶ岳登山
雁坂峠への登山を秩父旅行の一つの要素と考えた場合、プランはいろいろと広がります。雁坂トンネル手前の休憩施設の出会いの丘まで車で行き、そこから雁坂峠への日帰り往復は、長丁場にはなりますが十分可能です。もちろん雁坂小屋を使った1泊2日登山もできます。その場合帰路を別の道を使えば周遊登山もできます。川又から登り雁坂小屋一泊~雁坂峠~出会いの丘というルートも一泊二日であれば無理なくできます。
これが秩父からの甲武信ヶ岳登山となると大きく話は変わってきます。秩父市川又から雁坂峠までの標準コースタイムは5時間半、出会いの丘からでも5時間です。雁坂峠から甲武信ヶ岳の標準コースタイムは5時間です。となると、登りだけで10時間以上かかります。秩父方面から甲武信ヶ岳に向かうルートは更に2本あり、一つは栃本関所跡から十文字峠を経由して甲武信ヶ岳に至るルートで、登り13時間の遠大な道のりです。もう一つは、秩父市入川の入川林道から入川沿いに進むルートで、登り14時間程です。このような点を考えると、秩父旅行としての登山は、甲武信ケ岳まで行かず、雁坂峠で止めておいたほうが良いのかもしれません。甲武信ヶ岳が、埼玉県そして秩父市の最高峰であることを考えるとこれは非常に残念なことです。埼玉県で甲武信ヶ岳に次いで高い山は、和名倉山という山です。この山は甲武信ヶ岳と違い、全山が埼玉県の範疇に入っています。それにも関わらず、一般的な登山道は山梨側にしかありません。かつては秩父湖から和名倉山への登山道も作られたことがあったそうですが、現在は廃道寸前と聞いています。和名倉山については、山梨側の登山道も整備されているとは言い難く、私も迷ったことがあるくらいですので、致し方ないのかもしれません。
登山道が整備されれば登る人が増え、整備の手間も減ります。旅行の要素として、登山はごく一部の人しかできないものなのも確かです。しかし、静かなブームはしばらく前から続いており、甲武信ケ岳と和名倉山の2山については、特になんとかならないものかという思いを抱いています。